「これだ!」という道

「生きる」ということ

改めて、こんな題材でコラムを書くのは久々です。
「人を生きる」で人生ですね。

「人」ってなんでしょう。

動物学的な「人」は「ヒト科」で説明されますけど、
今回取り上げる「人」は心理学的要素が強いかもしれません。

皆さんが思う「人」ってどんな人を思いつきますか。

人が、人で有るために必要な事、とすればわかりやすいでしょうか。

逆に「人でなし」という言葉もあります。

「人でなし=人では無い」ということですから、非人道的な事をした人に用いられる言葉です。

「非人道的な事をした人=人の道に反した事をした人」とも言えるのではないかと思いますが、では「人の道」とは何でしょう。

「人の道」っていうのは、人である以上進むべき道があることを表している訳ですよね。人なんだからこう在るべきだ的考えがあり、人なんだからこう振舞うべき、や、人なんだからこう考えるべき、人なんだからこうするべき、というような「べき」こそが「人の道」を照らす光だと、その光を元に人は生きているっていることになると思います。

では、その「人の道」というのはどんなものなんでしょう。

人は生まれながらにしてその「人の道」という光を身に着けている人は居ません。

成長過程の環境や教育において「人の道とはこうあるものなんだ」と学ぶことで、自分が一人で歩んでいく人生の道に光を照らすのだと思うんです。

だから、その自分の生きる道を胸張って堂々と進んでいる人は、その光が強いので遠くまで照らすことができているから安心してその道を進める、という理屈が通ります。

逆に、信じる生き方や「べき」と強く思えないことで放てる光の強さは弱くなるため、進む道を確かめながら少しずつしか進めない人生もあります。

でも、前者でも後者でもどちらがいいなんていう正解はないと思うんです。

だって、人には性分がありますから。だからどっちだって自由です。

その「人の道」を強く信じることができるメカニズムは「生まれからずっと強い教育をされた」というレアケースもありますが、ほとんどは次のようになります。

①「辛い、悲しい、苦しい思いを強くした」等の経験がある 
②「もうこんな思いをしたくない」と強く思う
③「この問題の解決策がほしい」と思う
④「これだ!」と思えるものと出会う
⑤「これこそ自分の人生」と胸を張り、人生を歩む

簡単に書きましたが、この④の「これだ!」というものとの出会いによって、胸を張って人生を歩むことができます。

この④は人によって違います。

前述した「生まれてからずっと強い教育をされた」場合は、その生まれた家のしきたりやしつけ等、親や家族がそうさせていたりします。現代の人は、他人からの影響により「これだ!」に出会うことが多いのだと思います。

ただその「他人」とは、当然自分が出会った人もそうですが、会ったことのない人でも思うことができますよね。すごい有名人の言っていたこととか、本を読んだりとか。

そして、もう実態として無い人(亡くなっている人)もそうですよね。伝記とか小説とかテレビや映画とか。

もちろん美化されているものを私達は目にしていたりするので、実際に会うことができたとしたら、その人物を見たりすると今思っている感情は変わってしまうかもしれませんね。色んな意味でこの故人からの影響はとても都合が良いと思います。

次回は、この「これだ!」について続きを書こうと思います。

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