みんなが「当事者」の顔

ゆいリビングは毎週火曜日の13時より昼礼を行います。













その昼礼後の30分は毎週お題は違えど、何かしら社員みんなで一つの事を考えようという時間になっています。

今回のお題は「協力業者さんの働く環境の充実」についてディスカッションしました。

働く環境の充実とは、簡単に言えば「働きやすさ」と考えればよいと思いますが、その働きやすいと感じるカテゴリーを「こころ」「からだ」「おかね」の三つに分けて話し合いました。

その中のひとつに「おかね」について、「たくさんお金がもらえたら働きやすい」と意見が出てきて、みんな「そりゃそうだ」とうなずいていました。

私が議長をしていたので、「ではそれを叶えるためにどうしようか」とみんなに問うと、黙り込んでしまいましたが、「ゆいリビングの利益を協力業者さんに出す」という答えも出てきました。

私は「ではゆいリビングの利益を協力業者さんに出し続けたとして、協力業者さんはきっと喜んでゆいリビングの仕事をやってくれるに違いないよね。では、貧乏になったゆいリビングはお客さんからの依頼を今までのように頂けそうかね」と。

「貧乏なゆいリビングに依頼して、もしつぶれてしまえば工事は途中で終わってしまったり、手抜き工事をされるかもしれないなんて考えれば、お客さんはきっとゆいリビングにはリノベーションを注文しないんじゃないかな。となると、余力が無ければ自信をもって注文を受けられないので、できる限りの努力をしたのちの利益確保が必要だね。」

話しを戻して、

例えば、毎月車の洗車を依頼するゆいリビングがA社とB社にお願いしようとしたとします。A社は3000円、B社は4000円でやってくれる。

当然3000円のA社にみんなお願いしそうなものだけど、ずっと4000円でやっているB社が営業し続けられているのはなんでだろう。

ずっと頼んでいるからという惰性や3000円のA社を知らない、という場合もあると思う。だけど本当にそれだけが理由なのかと言えば、ほとんどの場合違う理由があるものです。

それは、「付加価値」です。

付加価値ってなんなのかと言えば、その目に見える形は下より、形として残らないけれども買う人のこころがあったまる出来事(物語り)へ感じる価値のことだと思います。

ただ早く洗ってくれただけのA社。隅々までキレイかというとそうでもない仕上がり。車を大事にして乗っていない人はきっとこのA社3000円コースで満足するよね。

じゃあ車を大切に乗ってる人はA社の仕事をどう感じると思う?

1000円高いのは嫌だけど、大事な車を粗末にされているように感じるより、1000円高くても大事に想いながら隅々までキレイにしてくれて、メンテナンスの仕方も親切に教えてくれて、更に笑顔でいつも対応してくれるB社に依頼すると思うのね。

でもここで注目したいのは、「車を大事にしてくれてありがとう」は表面上のこと。
本当は「車を大事にしている私の期待に応えてくれてありがとう」ということ。

似ているけど、違う。

残念ながら車は意志を持ってません。意志を持ってるのは「私」です。

だから主語は「私」。

ペットを飼われている人も近いものがあるかと思います。でも例を挙げれば全て主語は「私」です。

話しを戻して、

「極論、ゆいリビングはお客様にとってA社、B社どっちがいいかね。」と問うと、「B社のような方法でないと、協力業者のみんなには充実したお金が払ってあげられない」と、答えが出ました。

「となると、協力業者さんはゆいリビングにとってB社となってもらわなきゃ、充実したお金を払ってあげられないね」というと、参加した社員みんなの顔が変わりました。

その顔は、私が見るに「当事者」の顔でした。

誰でもたくさんお金が欲しいものです。

でも世の中たくさんのお金を手にした人は、少なからずとも「誰かの期待に応え続けてきた」からこそ、私の期待に応えてくれるその人に次から次へと依頼された結果であると思います。

お客様→ゆいリビング
ゆいリビング→社員
社員→協力業者

この4者がみんなバランスよく居ることが、結果的には「働きやすい環境」を充実させていることへの気づきが深まったと思います。

私はこのバランスを大切にしたいと思い、前会社を辞め独立したわけです。
自分の人生を賭けてでも手に入れたいと思った目標です。

そんな自分の思いを社員の皆へ伝えることが難しいと思い続けてきましたが、なにかようやくそのしっぽをつかんだような手ごたえを感じた、良い昼礼後の会議でした。

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