命の使い道
命の使い道
仰々しいタイトルで始まったコラムですが、
私が所属する西尾KIRARAロータリークラブの例会で、
以前中学生へ向け出前授業を行った報告会が本日あるので、
そのことについて書いておこうと思います。
中学三年生が修学旅行で東京に行ったそうです。
国の省庁へ見学する流れは以前とも変わらないのですが、
その学びはまず自主性をもって選択するそうです。
最近の修学旅行は学びも充実させている印象です。
300名くらいいる人学年が10くらいのコースに振り分けられたようですが、
その中のひとつのクラスを私が請け負う事になりました。
私は何をするのかというと、
学生の訪問先で学んだことの復習と、
その学びの深掘りとでも申しましょうか。
その学びをもってどのように感じたのか。
また、その学びは今後この西尾市に住む一員として、
どんなことに役立てていけばよいのかを僭越ながらお話ししてきました。
私の受け持った生徒の行先は「防衛省」に行ったので、
主催者に決められていた講義のお題は「世界平和」でした。
(タイトル壮大すぎるでしょ・・)
国防省は東京都の市谷にあります。
その防衛相を見学してきた子たちは、
自衛隊について学んできたとのことでした。
もちろん自衛隊の事を詳しく知ることは国益となります。
ただ、なぜ軍隊ではなく自衛隊なのかという疑問も知っていれば、
日本国が歩んできた歴史にも触れなくてはならず、
どこから話そうか、結構悩みました。
内容は、三島由紀夫の割腹自決を絡めながら話しをしました。
どうして日本はGHQと戦争をしなければならなかったのか。
終戦後日本は世界からどのような評価を得て繁栄したのか。
その繁栄のなか日本国民が得たものは、失ったものより大きかったのか。
三島由紀夫はなぜ国防省で国民に訴え、その後自決したのか。
諸説ある答えの中で、私が一番腹落ちしている解釈を生徒へ伝えました。
三島氏は、戦後「言葉」というものが軽くなったことを嘆いておられた。
あれほどまでに国の存続をかけ、自らの命を捧げて散った方々に、
今の日本、今の日本国民の意識や振舞いを見せられるのか、と。
恥を知れ、と。
意味のあることに命を使え、と。
三島氏は命と引き換えに、先人が後世に伝えたかったメッセージを
国民に問うた、ということです。
ここで生徒に問いました。
「自分の命より大切なものはありますか」と。
皆、手は上がりませんでした。
でも、自分の命よりも大切なものを持っている人を、
みなさんの身近な人は持ってますよ。何かわかりますか。」
やはり皆、手は上がりませんでした。
答えは、「あなた」です、と。
自分の命よりも大切な子供(子孫)をもつことができると、
その子を命がけで危険から遠ざけたり、守ったりすることができる。
これは種の保存という生まれ持った自然の力「愛」なんですが、
自分以外の誰かのために命を掛けることができる状態を指してます。
ただ、自分の子供以外にも命を掛けられる人が世の中には居たりします。
それは、自分の子孫以外も幸せになってもらいたい、
危険から遠ざけてあげたい、困っていたら守ってあげたいという、
理性の「愛」だったりします。
このような人たちが居たから、居るから、私達は安心して今
生活することができているんですよね、と。
その自分の子孫以外にも愛をもてる人達が、
皆さんが東京の防衛省まで足を運び学んできた自衛隊の方々であったり、
私が紹介した三島由紀夫という人物だったりします。
あなたたちは、まだ自分の命よりも大切なものを持っていません。
三島由紀夫になったり自衛隊にならなければならないわけではないです。
ただ、自分の命よりも大切なもののために生きられる人生が送れるのなら、
見える景色は今よりぐっと広く高く、そして豊かなものになるのではないかと、
私は思ってます。
皆さんはこれからどんな人生を歩んでいかれるかはわかりませんが、
ぜひ今回の体験をより良く生かして行ってくださいね。
と締めさせてもらいました。
その後、生徒からのアンケートが30ほどいただけたのですが、
思いのほか伝わっており、やって良かった!と。
やる前は「むずかしすぎるかなぁ」とは思ったんですが、
「世界平和」を薄っぺらい解釈にするのは国益を損ねると考えたので、
できる限り優しく伝える工夫をしながらやった甲斐がありました。
ゆいリビングでもこのようなお話しをたまにするのですが、
やはり根底には日本人としての愛国心が欲しいですよね。
この豊かな国の中で育ててくれて、本当に感謝です。
仰々しいタイトルで始まったコラムですが、
私が所属する西尾KIRARAロータリークラブの例会で、
以前中学生へ向け出前授業を行った報告会が本日あるので、
そのことについて書いておこうと思います。
中学三年生が修学旅行で東京に行ったそうです。
国の省庁へ見学する流れは以前とも変わらないのですが、
その学びはまず自主性をもって選択するそうです。
最近の修学旅行は学びも充実させている印象です。
300名くらいいる人学年が10くらいのコースに振り分けられたようですが、
その中のひとつのクラスを私が請け負う事になりました。
私は何をするのかというと、
学生の訪問先で学んだことの復習と、
その学びの深掘りとでも申しましょうか。
その学びをもってどのように感じたのか。
また、その学びは今後この西尾市に住む一員として、
どんなことに役立てていけばよいのかを僭越ながらお話ししてきました。
私の受け持った生徒の行先は「防衛省」に行ったので、
主催者に決められていた講義のお題は「世界平和」でした。
(タイトル壮大すぎるでしょ・・)
国防省は東京都の市谷にあります。
その防衛相を見学してきた子たちは、
自衛隊について学んできたとのことでした。
もちろん自衛隊の事を詳しく知ることは国益となります。
ただ、なぜ軍隊ではなく自衛隊なのかという疑問も知っていれば、
日本国が歩んできた歴史にも触れなくてはならず、
どこから話そうか、結構悩みました。
内容は、三島由紀夫の割腹自決を絡めながら話しをしました。
どうして日本はGHQと戦争をしなければならなかったのか。
終戦後日本は世界からどのような評価を得て繁栄したのか。
その繁栄のなか日本国民が得たものは、失ったものより大きかったのか。
三島由紀夫はなぜ国防省で国民に訴え、その後自決したのか。
諸説ある答えの中で、私が一番腹落ちしている解釈を生徒へ伝えました。
三島氏は、戦後「言葉」というものが軽くなったことを嘆いておられた。
あれほどまでに国の存続をかけ、自らの命を捧げて散った方々に、
今の日本、今の日本国民の意識や振舞いを見せられるのか、と。
恥を知れ、と。
意味のあることに命を使え、と。
三島氏は命と引き換えに、先人が後世に伝えたかったメッセージを
国民に問うた、ということです。
ここで生徒に問いました。
「自分の命より大切なものはありますか」と。
皆、手は上がりませんでした。
でも、自分の命よりも大切なものを持っている人を、
みなさんの身近な人は持ってますよ。何かわかりますか。」
やはり皆、手は上がりませんでした。
答えは、「あなた」です、と。
自分の命よりも大切な子供(子孫)をもつことができると、
その子を命がけで危険から遠ざけたり、守ったりすることができる。
これは種の保存という生まれ持った自然の力「愛」なんですが、
自分以外の誰かのために命を掛けることができる状態を指してます。
ただ、自分の子供以外にも命を掛けられる人が世の中には居たりします。
それは、自分の子孫以外も幸せになってもらいたい、
危険から遠ざけてあげたい、困っていたら守ってあげたいという、
理性の「愛」だったりします。
このような人たちが居たから、居るから、私達は安心して今
生活することができているんですよね、と。
その自分の子孫以外にも愛をもてる人達が、
皆さんが東京の防衛省まで足を運び学んできた自衛隊の方々であったり、
私が紹介した三島由紀夫という人物だったりします。
あなたたちは、まだ自分の命よりも大切なものを持っていません。
三島由紀夫になったり自衛隊にならなければならないわけではないです。
ただ、自分の命よりも大切なもののために生きられる人生が送れるのなら、
見える景色は今よりぐっと広く高く、そして豊かなものになるのではないかと、
私は思ってます。
皆さんはこれからどんな人生を歩んでいかれるかはわかりませんが、
ぜひ今回の体験をより良く生かして行ってくださいね。
と締めさせてもらいました。
その後、生徒からのアンケートが30ほどいただけたのですが、
思いのほか伝わっており、やって良かった!と。
やる前は「むずかしすぎるかなぁ」とは思ったんですが、
「世界平和」を薄っぺらい解釈にするのは国益を損ねると考えたので、
できる限り優しく伝える工夫をしながらやった甲斐がありました。
ゆいリビングでもこのようなお話しをたまにするのですが、
やはり根底には日本人としての愛国心が欲しいですよね。
この豊かな国の中で育ててくれて、本当に感謝です。










