格好良さ

格好良さ


私はたぶん人よりも生きるとか死ぬとか、何が善で何が悪なのか、こんなことを考えることが多い傾向があるように思っています。

その中で、「格好良さ、格好悪さ」というのは皆さんの中にも一定の基準があるのではないかなと思います。

具体的な事を書きだすとキリがないので、大枠のことについて。

「自分が認める『かっこいい奴』に自分になれる判断をしているなら、他人がどう自分を評価しようとも、どうでも良い」

究極的な考えかもしれないですが、これが心理だと思っています。

ここにもし、「他人」の判断を自分の格好良さに反映させてしまうと、もし格好良いと思ってした言動や行動が批判された時、他人のせいにできてしまいますよね。

AさんにもBさんにも認められたい、格好良い人だと思われたい、だから自分はこう思うようにしている、なんて考え方の場合、AさんとBさんの思う格好良さが違ったら、自分はどう振舞うのか迷い、挙句他人のせいにしてしまうのではないかと。

でも自分という人が格好良いと思う人に、自分がなれていたのなら残念な気持ちになることは無いです。

しかもその格好良さの基準は自分が一番よくわかっています。

もちろん方向修正は必要ですけどね。

その格好良さの定義は人それぞれですから、「その格好良さ、自分と同じ感性!」と他人と共通することはあっても、「これが正解!」というものは無いです。

だから、自分が大きくストレスを抱えないで済む環境にするため、自然と人や居る環境を寄せていくのだと思います。

そんな事を考えている私が、先日スマホから得た良い言葉があったので紹介します。

「何しないで負けるより、努力して負ける方が カッコイイ」


誰も無様な姿は見せたくないものです。

でも、その無様(ぶざま)さは続けていると、それがその人の生き様(いきざま)になるのだと。

その生き様は人に簡単にまねできないもの。

故に、その生き様がカッコよく見えるのだと。

私の大好きなシンガーソングライター氷室京介がLIVE中に言ってました。


そうだよな、と。

かっこいい自分になれるように、毎日を努力して生き抜こうと思います。

では、名古屋にジェルコの会合へ行ってきます!



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