「これだ!」が「志」へ

「これだ!」

人(自分)は弱い。
驚くほど弱い。
悲しいほどずるい。
情けないほど格好悪い。

こんな風に思ったことありませんか。

こう思える人は、何か基準があって、それと比較しているはずです。

その基準こそ、「人とはこう在るもの、こうあるべき」という情報からくるものなはずです。親や学校教育の時点で教わるものと思います。だから心の中で話すんです。自分と。

「なんで約束を守るって言ったのに、守らなかった?」
「なんでできる時間はあったのに、やらなかった?」と。

そんな自分のことを自ら責めるんです。

そんなことが増えれば増えるだけ、自分の弱さやずるさ、格好悪さを知り、どんどん自分を信じてあげられなくなります。

けれど、そんな格好悪い自分のままでは嫌だから、強くなりたいと望みます。そんな時、弱い自分を助けてくれるもの、補ってくれるものを探します。

その弱い自分を助けてくれる、補ってくれるものこそ「これだ!」というものとの出会いです。


人は選択を迫られた時、一瞬で色々なことを判断しています。その判断基準は人それぞれですが、大別して「自分のため」と「自分以外の人のため」、「現在(その場)」と「未来」と、ポートフォリオ分析を行っています。

話がそれました。これについてはまた違う機会に。


自分は弱い。けれども自分だけではなく他の人のことも考えて出した判断が、違う人に受け入れられなかった(批判された)時、迷います。そんなことを繰り返していくうちに矛盾が生じてきます。

Aさんには批判されたのにBさんには受け入れられた
Cさんには受け入れられたのにBさんには批判された など

その行きつく先は「自分と同じ考え(答え)を全て持つ人は居ない」ということに気付くんです。こんな中で自分が自分らしく生きていくために仲間が必要です。

その仲間こそが「これだ!」という道です。

何等かに寄り添うことで、「大丈夫!」と自信を持てる。

その「これだ!」も時と共に変わるものもあります。

けれど、変わらないものもあります。

強いインパクトがあるものほど変わりにくい。


私自身も「これだ!」というものに出会いました。


他から「信じてもらえない」自分がとても嫌でした。

だから信じてもらえるにはどうしたらいいか考えました。

そして、ある本で出会い、ある人と出会い、こう伝えられました。

「自分が他人を信じてないのに、なんで他人があなただけ信じてくれるの?」

私は頭をハンマーで殴られたような衝撃を受け、ですよね、と思いました。

更に

「他人は変えられないけど、自分は変えられる」

そうですよね。自分が変わる努力を怠っていただけだ、と。



自分自身もそうですが、沢山の関わる人を幸せにする使命を自分に課しています。

だからこそ、自分の弱さが次から次へと浮き彫りになり嫌になります。

私の「これだ!」は、

「他に望む前に、他から望まれる自分になれ」

そして人生通して叶えたいものが

「人と人とが信頼し合える関係づくり」です。


私にはとても高いハードルですが、「信じてもらいたい」という強い欲求を満たしたかった昔の弱くてずるくて格好悪かった自分に、「自分以外の人を幸せにしていったら、信じてもらえる自分になったよ」と言ってあげたい。

こんなちっぽけな事にこだわって生きている人なんか居ないかもしれませんが、これが今私を動かしている「コア」です。

これを叶えることこそが、私の生きる目的です。

自分だけではなく、より多くの人が幸せになることができる自分の生きる目的。

これを日本では「志」と言います。

「これだ!」というものとの出会いが、いつかそれぞれの人の「志」につながるのだと思っています。

でも、「志」を成し遂げることができる人は一握りでしょう。

その「志」を成し遂げるために努力し続けていることが重要なのであり、その姿こそが「立派」であり、そんな人が「立派な人」なんだと思います。

高い目標を達成するために、小さなことを達成する毎日の中にそこ人間らしさがある、こう考えると自分も立派な人になれそうだと勇気が湧きます。

皆さんも、私のように都合の良い解釈(勘違い)をして(笑)、立派な人に毎日近づいていきませんか。

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